ちきりんさんの『自分の意見で生きていこう――「正解のない問題」に答えを出せる4つのステップ』を読みましたので、読書メモを公開します。
「正解のある問い」と「正解のない問い」
・「すべての問題には正解がある」という考えは幻想
・「正解のない問い」を他人任せにするのは無責任
→正解がないからこそ、自分で意見をもって決めることが求められる
・「正解のある問い」に対して、意見をもつことは不可能
→ただそこには、正解(=事実)と誤答があるだけ
・「正解のある問い」は調べることができる
→「調べられない=正解のない問題」ではない
→正解がないのではなく、正解にたどり着くのが極めて難しいだけ
→例えば、「第二次世界大戦で亡くなった人は何人か」という問いは、正解がある問いだが、調べるのが難しすぎて「正解のない問い」だと思えてしまう
・「正解のない問い」に対する意見には、正解も不正解もない
→正解も不正解もない以上、「間違った意見」というのは存在しない
→逆に、正解がないので「正しい意見」なんてものも存在しない
・「正解のない問い」に対して取る手段は「考える」こと
→正解のない問いについて、いくら調べたり、人に聞いたところで問題は解決しない
・問いに直面した際にまず考えるべきは、その問いは「正解のある問題なのか否か」ということ
・カリスマと評される人の意見は一見正解のように聞こえるが、それもあくまでも一つの意見に過ぎない
「意見」と「反応」の違い
・ポジション(発言者の立ち位置)が明確なものが「意見」
・ポジションがどこなのかがわからない言葉は意見ではなく「反応」
・反応は、他者の意見の否定や、他者の意見への質問という形をとることが多い
・SNSが普及したことで(あたかも意見のように見える)反応が目に見えるようになった
・意見を発信するには、「自分のアタマで考えること」と「言語化すること」が必須
・逆に、反応には思考を要しない
→反応の例:「例外もありますよね?」「一概には言えませんよね?」「そうとも言
えないと思います」
→これらの言葉は、どんな意見に対しても無思考で言うことができる
・意見にしか価値はない
→意見を言う人=自分のアタマで考えてゼロからイチを生み出している人
・反応は面白くないうえに、それ自体に価値はない
・意見を表明し続けると、それらが集まって自我や人格を形成し始める
→継続して意見を表明することで、その人のキャラが伝わり、ファンができる
・自信がないとき、意見は反応に変わってしまう
→考えに考え抜いて意見をすれば、自然とその結論に自信は湧く
・意見に対しては反論ができるが、反応はポジションが明確ではないので反論することができない
・反応しかしない人は、意見を表明することを怖がっている
→自分の意見に基づいて行動することを恐れているため、過剰に正解のない問いを調べたり、正解を知っていそうな人の意見を求めたりする
・「意見の正しさ」よりも、そもそもそれが本当に自分の意見なのかを気をつける
→しっかりと自分のアタマで考えた意見なのかが大事
承認・発信活動について
・承認を得るためには、その人がどんな人かよくわかる情報(自分の内面情報)を提供しなければいけない
・自分の内面情報を提供しなければ、他人から認めてもらうことはできない
→家族内や学校のクラス内では常に他人と一緒に過ごしているので、内面情報を積極的に提供せずとも承認は得られる
・ただし、ネット上で承認を得たいのであれば、積極的かつ意識的に自分の内面情報を提供する必要がある
・ネット上でどれだけ承認を得られるかは、発信の量とは関係がない
→「その人がどんな人か、よくわかる情報」を発信することで、会ったこともない人からの承認を得られる
・「発信者がどんな人か、伝わってくる発信」=「意見」
・匿名のネット人格でさえ、意見を言い続ければ承認は得られる
発信のポイント・注意点
・おすすめの発信方法:発信プラットフォームを一つ決めて、自分の意見そのプラットフォームに集める
→意見の発信場所を点在させると、意見の全体像が見えずネット人格が誰にも伝わらなくなる
・ネットの発信も現実と地続き
→リアルで絶対に言わないことは言わないよう心がける
・ネット上での振る舞いは、リアル社会での自分の振る舞いと同じにする
→発信の唯一のルール:リアルな社会では言わないことはネット上でも発信しない
・しっかりしたものを作り上げてから発信する必要はない
→自分に合った表現方法を探しながら、途中経過も含めて気軽にどんどん発信する
生きづらさから脱却するための発信
・意見と同じく、生き方に正解はない
・学校的価値観により、「生き方に正解がある」と刷り込まれている人が多い
・正解はないので、他人からの答え合わせを求めない
→多数派や偉い人の意見が正解なわけではない
→答え合わせに費やす時間は無駄
・「絶対こうだ」と言えるまで考え尽くすことが大事
→自分の意見に自信が持てて、他人の意見が気にならなくなる
・承認欲求を得るには、自分の意見を持つことが必要
・承認欲求:「他の誰とも異なる個としての自分」を承認されたいという欲求
→内面情報を伝えなければ承認は得られない
・自我:「自分は誰か」「どんな人間か」という自分自身の意識
→意見を持つことで、「自分がどんな人間なのか」を自分で理解できる
→さらに、それを外に発信することで、他者にも自分の人格が伝わる
・意見を言わない限り、その他大勢の一人としてしてか認識されない
・広く認知されることに意味はない
・「正しく認知される」ことが大切
→実態とは違うイメージがついても居心地が悪いだけ
◾️承認欲求が充足するステップ
①日常生活で見聞きし、体験した様々なことについて、意見を明確にする
②自分の意見を明確にすることにより、自分がどんな人間かを自分で理解する(自我の確立)
③ありのままの自分を自分で肯定する(自己承認、自己肯定感)
④自分の意見を他人に開示することで、自分という人格を外部から承認してもらう(承認欲求の充足)
◾️リーダーシップについて
・企業、家族といったコミュニティの中で、「常にみんなの意見に賛成している人」は仲間と認めてもらえない
→そういった人は、コミュニティ内で問題を抱えたときに何も貢献することができない
・「自分の意見を表明し、議論する」プロセスに貢献できない人は、仲間ではなく、作業担当者に過ぎない
・リーダーシップの最初の一歩は、自分の意見をもつこと
・「今のところ自分に関係ない」と思っていること(例えば、大災害や家族の突然死)でも、事前に考えておく必要がある
→あるいは、そういった問題に直面したときに「速やかに自分の意見を」を明確にできるよう訓練しておく必要がある
・問題の当事者になってから冷静に物事を考えるのは難しい
・日本では、「専門外のことには意見を言うべきではない」という考えがまん延している
・会議では反応ばかりが飛び交うことが往々にしてある
・そのうえ、会議における反応は賢そうな発言に見えてしまう
→例:「根拠は何ですか?」「一概には言えないと思います」「例外もありますよね?」
・意見を明確にするためには、結局「考える」というプロセスが必要
→「意見を明確にせよ」と言うのは、「考えろ」と言われているのと同じ
・会社でも世間でも、評価されるのは必ず「意見を言う人」
■オリジナルの人生
・「人生を左右する重要な問題」に対して、どのような決断を下すのかを習ってきた人はいない
・「なんとなくみんながそうしてるから」という気持ちで人生の重要な問題に対処していると、「自分オリジナルの人生」を生きれなくなってしまう
・意見の重要性はこれからも高まり続ける
・SNSは「意見を表明する場所」としては優れているが、「議論の場」としてはうまく機能しない
・議論は、リアルな社会で行うべき
・議論によって意見を言うことの訓練ができる
・意見が言えるようになると、自分自身で納得できる人生を送れる
■自分の意見をもつための練習方法
①レベルチェック
→世の中で話題になっている「正解のない問題」について自分の意見を書いてみる
②ムリにでも意見を言い切る
→よくわからない場合でも、「賛成」か「反対」かを明確にする
→ポジションをとる練習になる
③自分で自分に突っ込む
→自分の意見に対して、できるだけたくさんの反論を書き出す
→更に反論の反論も書き出す